背中で語る秋|街を見守る石たち

祈りは前を向かない

紅に染まる斜面に並ぶ背中
ー 紅に染まる斜面に並ぶ背中 ー

祈りとは、必ずしも前を向くものではないのかもしれない。

彼らは何かを願うように、街を見つめているわけではない。
救おうとも、変えようともしていない。

ただ、そこに在ること。
それだけで、人の営みと同じ時間を生きている。

背中とは、語らない姿だ。
けれどその沈黙は、どんな言葉よりも、長く、深く、届く。

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コメント

コメント一覧 (6件)

  • おはようございます
    深いですね
    祈りって、自身の心の中での思いでしょうけど
    お地蔵様のように無心でいることもひとつの
    姿なのでしょうね~人は欲が深いです><

    • べり~*さん、おはようございます。いつもありがとうございます。
      仰る通り、祈りは外に向けるもののようでいて、実は自分の心の奥と静かに向き合う行為なのかもしれませんね。
      並ぶお地蔵様たちの後ろ姿には、何かを願うというよりも、ただそこに「在る」だけの無心さがあって、その姿がかえって人の心を映し出しているように感じました。
      私たちはどうしても欲や迷いを抱えて生きていますが、だからこそ、こうした風景に触れたときに「無心」という在り方に憧れ、立ち止まることができるのかもしれません。

  • あまり背中から見る事ないですが、「親の背中見て子は育つ」ってありますから、年取ってもいい背中でありたい(;^_^A

    • NOBさん、いつもありがとうございます。
      確かに、お地蔵様を「背中」から見る機会はあまりありませんよね。
      それでも、静かに並ぶその背中には、言葉以上に多くを語るものがあるように感じました。
      「親の背中を見て子は育つ」という言葉、本当にその通りだと思います。
      年齢を重ねても、誰かに何かを強く示そうとしなくても、ただ在り方そのものが穏やかで、少しでも温もりを感じてもらえるような、そんな“いい背中”でありたいですね。

  • 祈り…

    今やどれだけ神に祈ろうと
    その祈りは異常な独裁者たちによって
    踏みにじられてしまいます。

    今の時代には祈りも信仰も
    無力なのかと思わざるを得なくなってきました。

    応援ぽち

    • よっちんさん、いつもありがとうございます。胸に迫るお言葉です。
      確かに、どれほど祈っても、現実はあまりにも無情で、理不尽な力によって踏みにじられてしまう――そう感じる瞬間は、私たちの身の回りにも溢れていますね。
      祈りや信仰が、あまりに無力に思えてしまうお気持ち、とても自然なものだと思います。
      お地蔵様たちの背中は、何かを劇的に動かす存在ではないけれど、ただそこに在り続けることで、誰かの心をそっと受け止めているようにも見えました。
      無力に思える時代だからこそ、祈りは「希望」というより、「人が人であるための最後の居場所」なのかもしれませんね。

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