落ち葉の音を踏みしめて

足元で、葉がかすかに鳴る。
乾いた音、湿った音、踏むごとに異なる小さな響き。
その一つひとつに耳を澄ませながら歩くと、
自分の中に溜まっていた余分な速度が、少しずつ削がれていく。
急がなくていい。
立ち止まってもいい。
振り返っても、同じ景色は二度とない。
落ち葉は、すでに役目を終えた存在だ。
けれど、その終わりは、道をやわらかくし、歩く人の足音を包み込む。
終わりは常に、次の何かをそっと支えている。
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富山市の紅葉名所「長慶寺・五百羅漢」を訪れ、静かに色づく秋の景色を写真とことばで綴るフォトエッセイ。円山庵の門にかかる深紅の枝、石仏が並ぶ参道に舞い落ちる葉、羅漢像の背中に積もる赤い絨毯。長慶寺の高台からは、富山市街と雪化粧した立山連峰を望む絶景も。越景写旅の筆者MIZUが、移り住んで34年になる越中の季節の息づかいを写し、そっと心に寄り添う風景として紹介します。


コメント
コメント一覧 (8件)
こんにちは
風情ある一枚ですね
落ち葉を踏みしめながら祈りの場所を豊かな気気持ちを持ちながら
歩いてみたいです
べり~*さん、こんばんは。いつもありがとうございます。
カメラがメンテナンス中で、撮影できないので蔵出しで対応させていただいております。
季節が逆戻りしています。この撮影した日は気落ちよい青空で、落ち葉を踏みしめながら気持ちよく歩きました^^
こんばんは。
富山の長慶寺さんについて調べてみました。歴史ある素晴らしい寺院のようですね。
灯篭と落ち葉の風景がとても魅力的に感じます。きっと桜の時期も綺麗なのでしょうね。
MTさん、こんばんは。いつもありがとうございます。
わざわざ調べてくださったのですね。ありがとうございます。
長慶寺は、派手さはありませんが、長い年月を重ねてきた静けさと温もりを感じられる、とても味わい深いお寺だと感じています。
灯篭と落ち葉の風景は、まさに「時が積もった」ような佇まいで、歩いているだけで心がゆっくりと整っていくようでした。
仰る通り、春には桜が参道をやさしく彩り、またまったく違う表情を見せてくれるそうです。秋の深みとは対照的な、穏やかで明るい時間が流れるのでしょうね。
季節を変えて何度も訪れたくなる。そんな魅力を持った場所だと思います。
おはようございます。
錦に染まる秋の参道。五百羅漢の静かなまなざしに包まれて、心が洗われるようです。
奥行きのある構図が、この道を歩いているかのような臨場感を感じます。
石灯籠の風合いが、長い年月を物語っていて趣深いワンショットだなと思いました。
hassel24さん、こんばんは。いつもありがとうございます。
嬉しいお言葉をありがとうございます。「錦に染まる参道」という表現が、この場所の空気感をそのまま言葉にしてくださっているようで、とても印象に残りました。
五百羅漢の佇まいには、不思議とこちらの心を静めてくれる力がありますよね。歩いているうちに、景色を見ているはずなのに、いつの間にか自分の内側を見つめている。そんな感覚がありました。
奥行きや石灯籠の風合いから、そこに積み重なってきた時間まで感じ取っていただけたこと、写真を撮った者としてこれ以上ない喜びです。
羅漢は悟りを開いた
最も高い境地に達した人ですね。
そこまでは到底無理ですが
少しでも煩悩は捨てていきたいものです^^
応援ぽち
よっちんさん、こんばんは。いつもありがとうございます。
仰る通り、羅漢は悟りの境地に至った存在とされていますが、私たちの日常とはあまりにも遠い世界にも感じられますよね。
それでも、この道に並ぶ石仏たちの姿を眺めていると、「完全に辿り着くこと」よりも、「そうありたいと願う心」そのものが大切なのではないか、そんな気がしてきました。
紅葉に包まれ、ただ静かに立ち続けるその姿は、何かを教え諭すというよりも、こちらの心をそっと映し返してくれる鏡のようでした。
煩悩をすべて捨てることは難しくても、ふと立ち止まり、自分の内側を見つめる時間を持つ。それだけでも、ほんの一歩、近づいているのかもしれませんね。